今年の2月にはいよいよ冬季オリンピックが開催されます。冬季・夏季にかかわらず、オリンピックを目指す選手たちは皆、血の滲むような努力をしている訳ですが、オリンピックという世界の舞台で自分の力を試すことができる選手はほんの一握りで、そのほとんどは出場できず涙を飲んでいます。肉体と精神を極限まで高めようとするその姿は、「命をかけて」と言っても過言ではないと思います。
先日、スポーツ界で前代未聞の事件が起きました。カヌー日本代表候補の選手が、オリンピックを目指す同じ日本のライバル選手の飲み物に禁止薬物を入れ、ドーピング違反で失格になるように仕向けるというものでした。
私はこの事件を聞いたときに、怒りがこみ上げると同時に、「スポーツをすることの危うさ」も感じました。本来スポーツは地位や名誉、お金の為にやるものではなく、自らを成長させるためのものです。もちろんスポーツを生活の糧にしているプロ選手もいますが、それは、そのスポーツを好きでやり続け、トップレベルになろうと努力した結果、後からついてきたものであるからです。中には地位や名誉、お金の為にやっている選手もいるかもしれませんが、それでは本当の一流にはなれないでしょう。本当の一流選手たちはプレーだけでなくフィールド外での人間性も素晴らしいですね。
人間が行動する時に「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」という2つのモチベーションがあります。前者は「何かの為」にすることであり、後者は何かの為にするのではなく「やりたいからやる」というものです。例えば、読書が好きで本を読んでいる時は内発的動機づけですが、ご褒美が貰えるから本を読むのは外発的動機づけにあたります。様々な研究によると外発的動機づけよりも内発的動機づけの方が、楽しく、質が高く、持続することが多いようです。野球のイチロー選手や、サッカーの三浦知良選手を見ていると内発的動機づけが強いことが良くわかると思います。
話は戻りますが、このドーピングで人を陥れようとした選手は、スポーツをやってきた過程で、「試合に勝つ」という外発的動機づけばかりを追い求め(時に周りに強要され)、スポーツを行う目的や楽しさ、心の成長が伴ってこなかったのでしょう。これは、この選手が育ってきた環境や指導者、親の影響も大きいと思います。
スポーツをやっていくうえで、「自分自身を高める楽しさ」という内発的動機付けを得られず、「勝つ」ことだけにこだわり続け、負けた相手の気持ちを考えられないような教育や指導を受けると、私たちの周りにいる子どもたちも、一歩間違えば道を外してしまう可能性があるのです。これが私の感じた「スポーツをすることの危うさ」です。
道がそれてしまう可能性があるのは、なにもスポーツの世界だけの事ではないと思います。勉強するのはなんのためでしょうか。学校へ行くのは?ただ唯一願うのは、子どもが将来幸せになってほしいという気持ちではないでしょうか。これらの答えはただ一つというわけでもなく、大人が全部知っているわけでもありません。
だからこそ大人も学び続け、しっかりとした軸を持って、物事の本質と「ほんとうに大切なこと」を子どもたちに伝えてあげたいものです。