親として、自分の子どもがどんな大人になるのか想像を膨らませ、将来を熟慮し、出来ることはしてあげたいと思うのが親心でしょう。勉強が出来るようにと良い塾を探し、運動が出来るようにスポーツ教室に通わせる保護者もいることでしょう。しかし親が子どもの為にと思ってやっていることでも、その本質を見極めないと的外れになってしまう可能性があると私は思います。
例えば、勉強して良い学校に入るのは何のためでしょうか。大企業の倒産や企業買収など、良い大学に入って、良い企業に就職すれば将来安泰だという時代は既に崩壊しています。また、インターネットやスマホが普及したことで、仕事や生活が多様化し、世界が目まぐるしく変化し続ける時代になりました。
我々の住む現代は、つい最近までの常識が今現在に当てはまらなくなってしまいました。AIやロボットの進歩もあり、10年後の社会を予測するのはかなり難しいのではないでしょうか。
年号を覚えてテストをするのは何のためでしょう。そんな事はインターネットで調べればすぐにわかりますし、物を覚えたり、計算することで人間はコンピューターに勝てません。英会話にしても、高度な翻訳機の出現で仕事や旅行なら英語圏だけでなく世界中の人と話せるようになってきています。決して勉強することや英会話を習う事を否定しているわけではありませんが、それをすることの意味をもう一度考えても良いのではないかと思います。
全ての経験は『生きる力』をつける為だと私は思っています。しかし、目的や結果だけにとらわれて、子どもの『生きる力』が養われていないのではないかと感じることがあります。特に子育てに熱心過ぎる人、少し世代が上の親に多い気がします。
私が思う生きる力を養うために必要なことの一つとして『本気で楽しむ』という事があります。本気で楽しいと思えば、それを突き詰めようと思うでしょう。突き詰めようとすると壁も現れます。壁を乗り越える為には、考えて行動に移さなければなりません。これらの工程が『生きる力』を育むと思っています。
運動やスポーツにはこの工程を経験する機会が多くあります。もちろんスポーツだけでなく勉強や工作・美術など、子どもが「楽しい」と思えることを見つける為に様々な経験をさせてあげるのは良いことだと思います。
「ゲームばっかりしてたらバカになる」と怒る事も、プロゲーマーという職業がある現在では一概に間違いだとは言い切れなくなっているのかもしれません。どんなものでも、寝食を忘れるくらい熱中していることがあれば、それはまさに子どもの『生きる力』が育まれている瞬間だと言えるでしょう。
もう一度言いますが、少し先の未来も予測できないほど社会変化のスピードが速くなっている現在で、私たち親が思っている正解が正しいとは限らないのです。
仕事がなければ自分で仕事を作ればいい。お金がなくても本人が「幸せだ」と思えればいい。親が思うのはただ一つ『子どもの幸せ』だけです。 古い考えに囚われて、時代や社会の変化についていけず、子どもの成長の邪魔になるような親にはなりたくない。そして自分自身も、死ぬまで「楽しい」と思える生き方をしたいと思う今日この頃です。