前月号では可変と不変について述べましたが、私が考える不変の本質、「人が喜ぶことに自分の能力を使えるか」についてもう少し詳しく書きたいと思います。
まず「仕事をする」という事を考えてみましょう。親が子どもの将来を考える際に「良い仕事につく」=「より高いお金を得る」ということを真っ先に考えるのではないでしょうか。しかし、親の本来の希望(目的)は「子どもが幸せになること」のはずです。もちろん、幸せに生きる要素としてお金は必要ですが、お金は幸せに生きる一つの道具であり目的ではありません。
とはいえ日々の暮らしの中で、どうしても必要なものから贅沢品まで、人間らしく生きる為には様々なものを手に入れなければなりません。そしてそれらはどのようにして手に入るのかというと、多くの人が「お金さえ払えば手に入る」と考えます。これが「お金さえあれば幸せになれる」と本来の目的と手段をすり替えてしまう原因なのではないでしょうか。
そもそもすべての仕事が産まれるきっかけは「人の役にたち喜んでもらえるか」が根本であり、原則だと思います。人間は他の動物と違い「他者の役に立ちたい」と生まれながらにインプットされているものだと思います。自分が人に何かをした際に「ありがとう」と言われて不快になる人はいないように、他者からの敬意や感謝、自分が必要な存在であると感じられることは幸せの本質の一つなのです。
したがって、「自分の能力をお金を稼ぐために使う」のではなく「人の役に立つために自分の能力を使う」、その結果、対価としてのお金をもらうというのが本来の仕事のあり方だと思っています。
そして、人の役に立つためには「自分を高め続ける」ことも必要なことです。自分の持っている能力が希少であるほど価値は高くなりますが、人が持っていないような能力を得ようと思うのであれば人よりも時間をかけ努力する必要があります。
本来、自分の能力を向上させる事は楽しいことなのですが、興味もなく好きでもない事はなかなか突き詰めることはできません。先ずは自分が夢中になれる事をみつけることです。もしも心から好きだと言えないことだったとしても、その中で小さな楽しみを見つけ育てていくことができれば、どんなことでも積極的になれると思います。
私は子ども達に運動やスポーツを通してこのことを伝えたいと思っていますが、勉強でも趣味でもなんでもかまいません。自分を高める癖をつけておくことは、人生において損はないと思います。しかしいくら優れた能力をもっていても利己的に使うのであれば意味はなく、その能力を他人の為にどう使い、他者の心を動かせるかが、幸せに生きる為の不変の本質だと私は思います。