ほんとうに「敵」ですか?

 先月25日に閉幕した平昌オリンピックで、日本は過去最高数のメダルを獲得しましたね。私自身、今までで一番よく観戦した冬季オリンピックで、選手たちの活躍に感動し、テレビの前で大声を出しながら見ていました。ニュースでも毎日取り上げられ、メダルを取った人、自分の実力を出し切れなかった人など、出場した選手の数だけ様々なドラマがありました。
 
 スポーツは基本的に対戦相手のいる競技が多くあります。オリンピック関連のニュースを見ていると、ニュースキャスターが対戦相手の事を「敵」と呼ぶことがありました。「敵」という言葉を広辞苑で調べてみると、【①自分に害をなすもの。かたき。あだ。】という意味が一番最初に記載されています。もちろん、【戦いの相手。自分と争うもの】といった意味もあるのですが、この「敵」という言葉を聞いたときにイメージするのは、憎しみや負のイメージではないでしょうか。

 ただの言葉の使い方だと言われればそれまでなのですが、何気に使っている言葉に感じるイメージは、大人と子どもとでは違う場合があります。ヒーローもののテレビ番組で言えば「敵」=「悪者」となっています。

 私は子どもにスポーツの対戦相手の事を「敵」とは絶対に言いません。憎しみの対象だと思ってほしくないからです。スポーツにおける相手の役割は、自分の「実力の把握」「弱点の発見」といったところでしょうか。強い相手では、「越えたい壁」「目標」ともなります。試合の結果から、自分の足りない部分を見つめなおし、考える機会を与え、更なる高みへと導くパートナーのような存在だと私は考えています。

 また、スポーツをするうえで闘争心は必要ですが、この「闘争心」の解釈が少しズレていると感じることがあります。「敵を倒すつもりで闘争心を掻き立てる」という認識の方もいるかもしれませんが、そもそも「闘争心」とは「戦ったりすることに対する意欲や気持ち」のことで、戦って打ち勝つのは、なにも相手のことだけでなく、自分自身も含まれています。
 一度負けた相手に対して憎しみを抱いて闘争心を燃やすのではなく、負けた自分自身の不甲斐なさを感じ「過去の自分に打ち勝つ」闘争心を燃やすのです。そして積み重ねた練習の成果を発揮できるよう、闘争心をもって相手に挑んでほしいと思っています。

スポーツにおける相手は決して「悪者」ではないのです。

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